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映画は人助けをしない

最新映画について書くことはあまりありません。基本的に古い映画について書いています。内容は古さを感じないものにしたいです。

メチャクチャな日本描写。フリッツ・ラング『Harakiri』(1919)を観て思ったこと

フリッツ・ラングと日本の関わりというと、若き頃、放浪の旅を続けていたラングは日本に来たことがあるという説があるほか、戦後、淀川長治青年がラングのもとを尋ねた時、『M』が好きだ!と伝えたらとても喜ばれたというエピソードが思い出される。*1

メトロポリス』に「吉原」の名が登場することは有名だが、実はラングは他の映画にも「吉原」を登場させていたのだ。それが『Harakiri』である。

*1:詳しくはこちらを参照されたし

淀川名画撰集 - M

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ユロ氏の対極にいる車寅次郎とチャップリン

  1. 喜怒哀楽の感情を持ち、学び、働くなどの活動を行う、人らしい雰囲気。また、住まいについて、いかにも人が暮らす所という感じ。「―のある人」「―の漂う部屋」

せいかつかん【生活感】の意味 - goo国語辞書

 映画における生活感とは何だろうか。

そもそも、我々は普段、どのようなときに生活を感じるのだろうか。

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D・W・グリフィスのマイノリティに対する価値観を『國民の創生』だけで決めつけてはいけない

D・W・グリフィスはアメリカ映画の父と称されている。映画製作の教科書『國民の創生』(1915)で現代映画の技法を駆使した素晴らしいストーリーテリングの方法を世界中に知らしめたからだ。

この映画は人道的に問題があるという意見もあり、町山智浩氏は近著『最も危険なアメリカ映画』で以下のように批判している。

『國民の創生』は、世界映画史上最大の難物だ。

現在、世界で観られている娯楽映画の基本的技術、文体、興行形態はグリフィスが『國民の創生』で、まさに「創生」した。それ以前の映画は、「貧乏人向けの見世物」と蔑まれていたが、『國民の創生』で初めて、文学や絵画や演劇と並ぶ芸術形態として認識された。「技術的には」間違いなく偉大な傑作である。

しかし、その内容は、歴史に対する意図的な歪曲、捏造、欺瞞、虚偽、そして悪辣な人種差別に満ちている。『國民の創生』は、その歪められた歴史観を世界に広めてしまっただけでなく、実際に暴力犯罪を扇動することにもなった。[…]優れた芸術によって社会に実害を及ぼした映画のひとつである。

 『國民の創生』の詳細は『最も危険なアメリカ映画』を読めばわかる。面白い本なのでぜひ読んでほしい。

難物『國民の創生』を生み出したグリフィス。しかし、彼はマイノリティや弱い立場にある人々に対する慈悲深さを持っていた。

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フリッツ・ラングの同系統作品『飾窓の女』と『スカーレット・ストリート』の評価の差

フィルム・ノワールの監督としても知られるフリッツ・ラング

1944年に公開された『飾窓の女』は典型的なフィルム・ノワール作品とされている。暗い画面、ファム・ファタール、退廃的な雰囲気…。

映画評論家の梅本洋一は、こんな風にフィルム・ノワールを表現する。

フィルム・ノワール>と呼ばれる映画は、そうした明るい夜を背景にしている。明るい夜とは、実は、明るさと暗さが交錯する場所だ。光線は、ある空間を決まった形で照らし出しはするけれども、光と光の間に残された場所には、決まって都市の光とは別の、あの夜の暗闇がある。車も人々も、光の下へと集まりはするが、あえてその原初の暗闇の中にとどまろうという男や女もいる。<フィルム・ノワール>は、そうした暗闇の中の男女の映画である。

ミステリマガジン  1988年2月号

 都市の一部に取り残された暗闇の中で展開される犯罪映画がフィルム・ノワールだ。

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自意識を持て余した女子高生を描いたコメディ『わたしはアーティスト』(籔下雷太監督)と『リンダリンダリンダ』

映画は誰かに観てもらうために作られる。商業映画にしろ芸術映画にしろ私映画にしろ、誰にも見られないことを目的に作られる映画は極めて稀だ。映画は第三者を考慮しなければ成立しない芸術といえるかもしれない。

『わたしはアーティスト』という映画がある。*1


『わたしはアーティスト』予告編 ◆SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015 短編部門◆

「私は特別」という自意識を持て余す女子高生の可愛らしい青春映画だ。孤独の痛みをアート(笑)で埋めようとするけど、誰からも理解されない。容姿はどっからどう見ても普通。アートをやりそうなタイプの顔じゃないし、妹にはちゃかされる。そんな中、「変わってるね」と言ってくれる男子が現われて大変なことに…という、よくできたコメディ。

*1:籔下雷太監督。ぴあフィルムフェスティバルアワード2015 審査員特別賞、京都賞を受賞。2016年にテアトル新宿で上映された。私はどうしても観に行きたかったが、都合が合わなくて断念した

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新興宗教に取り憑かれた男と必至で取り戻そうとする女の純愛映画『ある朝スウプは』(2003)

※ネタバレあり

『ある朝スウプは』という映画がある。監督は『凶悪』の共同脚本を務めた高橋泉。

ぴあフィルムフェスティバルアワード2004入選作品。登場人物わずか4人の小規模なインディペンデント映画だ。


PFFアワード2004入選作品 映画『ある朝スウプは』予告編

主人公はあるカップル。パニック障害を発症して職を失った男はこころの弱さにつけ込まれ、生長の家の信者になってしまう。

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新宿武蔵野館で中田秀夫監督作『ホワイトリリー』を観ました

2016年12月に始動した日活ロマンポルノのリブートプロジェクト。

先駆けの一作『ジムノペディに乱れる』(行定勲監督)は大傑作だったと思う。必至の現実逃避を続けるもついに避けられない現実に直面してしまった(パンドラの箱を開いた)板尾創路の恐怖に怯える表情のストップモーションは刺激的だった。世代的にロマンポルノを映画館で観るのは初めてだったので、なんとも言えない背徳感でゾワゾワしながらの鑑賞だったことを機能のことのように思い出す。

 

で、レズビアン映画『ホワイトリリー』である。


『ホワイトリリー』予告編

陶芸家志望のはるか(飛鳥凛)は、閑静な住宅街で陶芸教室を開く有名陶芸家・登紀子(山口香緖里)の住み込み弟子。師匠の身の回りの世話をするだけでなく、2人は特別な関係にあった。ところがある日、登紀子が有名陶芸家の息子である悟(町井祥真)を新弟子として迎え入れ、強引に住み込ませた挙句、関係を強要するようになった事から、3人の関係は暴走していく。

MovieWalkerからの引用 役者名は筆者による

監督・中田秀夫×脚本・三宅隆太!Jホラーの中心人物がタッグを組んだ…というのがウリ文句らしい。仮面ライダー女優・飛鳥凛を主演に起用した意欲作だったが。

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