D・W・グリフィスのマイノリティに対する価値観を『國民の創生』だけで決めつけてはいけない
D・W・グリフィスはアメリカ映画の父と称されている。映画製作の教科書『國民の創生』(1915)で現代映画の技法を駆使した素晴らしいストーリーテリングの方法を世界中に知らしめたからだ。
この映画は人道的に問題があるという意見もあり、町山智浩氏は近著『最も危険なアメリカ映画』で以下のように批判している。
『國民の創生』は、世界映画史上最大の難物だ。
現在、世界で観られている娯楽映画の基本的技術、文体、興行形態はグリフィスが『國民の創生』で、まさに「創生」した。それ以前の映画は、「貧乏人向けの見世物」と蔑まれていたが、『國民の創生』で初めて、文学や絵画や演劇と並ぶ芸術形態として認識された。「技術的には」間違いなく偉大な傑作である。
しかし、その内容は、歴史に対する意図的な歪曲、捏造、欺瞞、虚偽、そして悪辣な人種差別に満ちている。『國民の創生』は、その歪められた歴史観を世界に広めてしまっただけでなく、実際に暴力犯罪を扇動することにもなった。[…]優れた芸術によって社会に実害を及ぼした映画のひとつである。
『國民の創生』の詳細は『最も危険なアメリカ映画』を読めばわかる。面白い本なのでぜひ読んでほしい。
難物『國民の創生』を生み出したグリフィス。しかし、彼はマイノリティや弱い立場にある人々に対する慈悲深さを持っていた。
『國民の創生』以前の映画では、例えば『質屋の娘の恋』(1909)や『インディアンの考え』(1909)などが挙げられるだろう。
『質屋の娘の恋』は娘の恋愛を許さない頑固な父親と、駆け落ちするように彼の元を去った娘の悲しいドラマである。良質な短編小説を読んでいるような気分になるいい話だ。原題は【Romance of a Jewess】。Jewessとはユダヤ人女性のことを指す。
D.W. GRIFFITH ROMANCE OF A JEWESS starring FLORENCE LAWERANCE 1908
『インディアンの考え』は白人によるネイティブ・アメリカンの迫害をネイティブ・アメリカンの側から描いている、同情的な作品だ。
"The Red Man's View" (1909) director D. W. Griffith, cinematographer Billy Bitzer
このように、移民やネイティブ・アメリカンに同情的な映画を作ってきた男が、『國民の創生』を作ってしまった。この罪に対する償いとして『イントレランス』(1916)を作るのだが、興業的には失敗した。
後期の傑作とされる『散り行く花』(1919)もまた、『國民の創生』に対する償いのような映画だ。
Broken Blossoms clip. Lillian Gish. D.W Griffith.
夢を抱いてアメリカに渡ってきたものの、アヘン中毒になり落ちぶれた中国人男性と、暴力的な父から逃れようとする美しい娘の恋。2人の弱者が惹かれ合い、引き裂かれる要因を作ったのは彼らを弱者へと陥れた社会であり、家族だった。
これらの映画には、弱者を弱者たらしめる環境への怒りが込められている。それは家族であり、政策であり、腐敗した社会であった。彼らの苦痛に反応できる感受性の強さが彼の映画の物語要素を補強し、傑作を生み出すエネルギーとなったのだ。
このように、グリフィスは決して人種差別思想の持ち主ではなかった。しかし、この辺りのデリケートな領域に対して無自覚であったこともまた事実である。
彼のデビュー作『ドリーの冒険』(1908)は悪役としてジプシーを登場させていた。ある家族の娘を誘拐し、樽の中に詰め込む悪役がジプシーでなければならない理由は、ジプシー=犯罪というレッテルから来るものだろう。
嫌われ者だったユダヤ系移民やネイティブ・アメリカンに同情的な思想を持ちながら、ジプシーを悪役に設定したというジレンマが『國民の創生』に繋がったと考えられよう。無自覚の差別意識が歴史的傑作として後世に残り続けたことは、彼にとって大きな痛手になったのだ。
最も危険なアメリカ映画 『國民の創生』 から 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 まで
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