映画は人助けをしない

最新映画について書くことはあまりありません。基本的に古い映画について書いています。内容は古さを感じないものにしたいです。

コズミック出版が販売している2種類のヒッチコックBOX、どちらを買えばいいのかという話

ヒッチコックチャップリン、グザヴィエ・ドランについてのエントリーを同時進行的に書いているのですが、下調べに時間をかけたいという理由で閑話休題

著作権が切れた映画のDVDを販売しているコズミック出版は、ヒッチコックの10枚組DVDBOXを2種類を販売しています。「サスペンス劇場」と「ミステリー劇場」です。

ヒッチコック サスペンス劇場 BCP-056 [DVD]

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ヒッチコック ミステリー 劇場 DVD10枚組 ACC-001

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1作品を約200円で購入できると考えればどちらも安い。ということで、どちらがより優れたラインナップを揃えているのかを見てみましょう。

収録作品の「みんなのシネマレビュー」での平均点と「RottenTomatoes」での批評家支持率をまとめました(11月5日時点)。

サスペンス劇場

作品名 公開年 みんシネ RT
レベッカ 1940 7.00点 100%
バルカン超特急 1938 7.18点 98%
海外特派員 1940 7.26点 94%
逃走迷路 1942 6.09点 81%
疑惑の影 1943 6.54点 100%
ロープ 1948 6.47点 97%
見知らぬ乗客 1951 7.02点 98%
汚名 1946 6.76点 97%
断崖 1941 6.73点 100%
白い恐怖 1945 6.44点 83%

ミステリー劇場

作品名 公開年 みんシネ RT
私は告白する 1953 6.70点 80%
山羊座のもとに 1949 6.00点 58%
舞台恐怖症 1950 6.66点 89%
三十九夜 1935 6.66点 98%
救命艇 1944 6.07点 91%
サボタージュ 1936 6.00点 100%
暗殺者の家 1934 4.90点 89%
間諜最後の日 1936 4.71点 90%
第3逃亡者 1937 5.63点 100%
恐喝(ゆすり) 1929 5.25点 90%

レビューの点数は、サスペンス劇場が明らかに優勢ですね。

サスペンス劇場は主にアメリカ初期の作品で構成され、『レベッカ』『海外特派員』『逃走迷路』『見知らぬ乗客』『ロープ』など有名作品が多いのが特徴です。収録されている唯一のイギリス期の作品『バルカン超特急』は初期ヒッチコックを代表する傑作として知られています。『めまい』や『サイコ』、『裏窓』あたりは見たけど他はまだ、という人のためのヒッチコックの入門編として適していると言えるでしょう。

一方のミステリー劇場はイギリス期の作品が多く、地味な印象を受けます。ヒッチコックについて知りたいという人にはおすすめできませんが、サスペンス劇場とアメリカ後期代表作を見た!という人向けの上級編と言っていいかもしれません。ちなみに、『救命艇』はヒッチコックの最も過小評価されている作品として知られています。偏屈ハゲの凄さはもう知ってるよ!という人に見てほしいです。

いちがいにどちらが良いとは言えず、立場によって異なるというのが結論です。サスペンス劇場の充実ぶりはファンなら間違いなく買い。『レベッカ』と『バルカン超特急』が揃っている時点で買わなきゃ損なのです。

これからは息抜きにこういったエントリーを書いていこうと思います。レビューサイトレビューやりたい。

ワンカット映画の嚆矢『ロープ』を撮ったヒッチコックの結論

1948年に公開されたアルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画『ロープ』は史上初のワンカット映画ということになっている。実際は2度カット割りがあるし(3幕構成の2幕、3幕の開幕を告げるカット割りになっている)、当時のフィルムは最長で10分ほどしか撮影できなかったために巧妙なテクニックでフィルムの交換が行われていて、厳密な意味ではワンカット映画とは言えないのだが。

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この映画を撮ったヒッチコックの感想が名著『定本 映画術』に載っていたので紹介したい。(Hはヒッチコック、Tはフランソワ・トリュフォー

H「この映画のことを考えてみると、なぜあんな綱渡りみたいな芸当をやろうとしたのか、自分でもよくわからない。まったく、あれは綱渡りみたいな芸当と呼ぶしかなかったな。舞台のほうは物語の実際の時間と同じようにドラマが進行する。つまり、幕が上がってから下りるまでの連続した話であるわけだ。これをまったく同じ方法で映画に撮ることが技術的に可能だろうかという問いを私はあえて自分に課してみた。答は、ただひとつ、映画の演出も切れ目なく連続的でなければならないということ、つまり、午後七時三十分にはじまり、九時十五分に終わる物語を一瞬たりとも中断させずに撮影する方法を見つけなければならないということ、だった。わたしは、一本の映画をまるまるワン・カットで撮ってしまうという、じつにばかげたことを思いついた。いまふりかえって考えてみると、ますます、無意味な狂ったアイデアだったという気がしてくるね。というのも、あのようなワン・カット撮影を強行するということは、とりもなおさず、ストーリーを真に視覚的に語る秘訣はカット割りとモンタージュにこそあるというわたし自身の方法論を否定することにほかならなかったからなんだよ。[…]もちろん、そんなに簡単なことではなかった。キャメラの操作のことばかりではなく、照明の問題がたいへんだった。なにしろ、夏の午後七時三十分から九時十五分までの話だから、午後の日差しのあかるさから日がすっかり落ちて暗くなるまで背景の光が刻一刻と変化していくわけだからね」
 
T「『ロープ』はばかげた実験だったとあなたはおっしゃられますが、わたしはそうは思いません。あなたの作品歴のなかでこの実験は非情に重要な、意味のあるものだし、およそ映画をつくる人間ならばだれもが一生に一度はかならずやってみようと思う夢の企画、夢の映画ではないかと思うのです。一本の映画をまるまるワン・カットでつなげて撮ってみたいという夢想を抱かなかった監督はいないと思います。その前人未到の夢をあなたは見事に実現してみせた。それだけですばらしいの一言につきます。そのことを認めたうえで、しかしながら、やはり――これは世界のあらゆる偉大な映画監督の仕事を分析しても明らかなことですが――結局はD・W・グリフィス以来の古典的なカット割りこそ最も映画的な真髄なのだというところに立ち戻るのではないでしょうか」
H「文句なしにそのとおりだと思う。カット割りこそ映画の基本だ」

デジタル技術の登場により、ワンカット映画は簡単に実現できるものになった。例えばアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』などがある。『バードマン』は確かにワンカット映画だが、映画内の時間経過が現実の時間経過とシンクロしていないという点が『ロープ』との決定的な違いと言えるだろう。トリュフォーの言う「夢の映画」とは、時間経過のシンクロを実現している映画のことなのである。世界中の映画監督の夢を不完全ながら実現したヒッチコックが「ばかげた実験」で得た答えが「基本に立ち返ること」であったということは重要なことだと私は思う。基本は基本なのだ。


Rope (1948) Official Trailer #1 - Alfred Hitchcock Movie

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー

 

 

スタンリー・キューブリックが完璧主義者になった理由

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偉大な映画作家スタンリー・キューブリックは、チャールズ・チャップリンとセルゲイ・エイゼンシュテイエンを尊敬していたと言われている。2人とも完璧主義者として知られている監督であり、キューブリックもまた完璧主義者だ。

彼は『ロリータ』以降のすべての作品で監督・脚本・制作を兼ねている。思いのままの映画を作るワンマン作家と言えるだろう。なぜ彼がこのようなスタイルで映画制作をするようになったのか?

原因は『スパルタカス』である。

主演のカーク・ダグラスが制作を兼ねていたこの映画は、ダグラスが完全にイニシアチブを取っていた。『突撃』でダグラスと組んだキューブリックは実力を認められ適用されたお雇い監督にすぎなかったのである。

自らのアイデアが採用されず、ダグラス主導の現場に辟易したキューブリックは、以降、自らがイニシアチブを取る映画しか作らなくなる。その結果、『博士の異常な愛情』のような生き過ぎたブラックユーモアが実現し、説明ナレーションをすべて却下し極めて抽象的な内容になった『2001年宇宙の旅』や、演技指導のために呼んだ中年男を俳優として起用し大成功を収める『フルメタル・ジャケット』、ジャック・ニコルソンのアドリブに合わせて脚本が書かれた『シャイニング』などの個性的な傑作が生まれたのだ。

キューブリックは天才だ。しかし、その才能を開花させたのは『スパルタカス』の現場で暴君として振る舞ったカーク・ダグラスなのである。

 

【初回限定生産】スタンリー・キューブリック コレクション(10枚組み) [DVD]

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フリッツ・ラング『M』の音の効果

ドイツ映画の巨匠フリッツ・ラングの代表作の一つである彼の初のトーキー作品『M』(1931)は今見てもとてもおもしろい。

トーキー初期の映画には伴奏がないため、映画作家たちは音の効果に工夫をこらしていた。冒頭のシーンが特に印象に残る。ピーター・ローレ演じるベッカート(M)に殺された娘エルジーがなかなか帰ってこないことを不安に思った母親の「エルジー!エルジー!」という呼び声が空しく響く様を階段の空間的な奥行きで表現する演出は見事だ。

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ベッカートの口笛はエドヴァルド・グリーグ作曲の『ペール・ギュント』の一節である。彼のほとばしる殺害欲求が口笛として表出しているために、思わず口笛を吹いてしまうシーンがある。新たな標的に手をかけることができず、カフェテラスで酒を飲みつつ気を落ち着かせようとするシーンだ。ここでの彼を、クラカウアーは猛獣の暗示であるとする。

キヅタにおおわれた格子だなの背後の、カフェー・テラスに腰を下ろし、ほおだけが葉の間からちらちらしているかれの姿は、ジャングルにひそむ猛獣を暗示している。

ジークフリート・クラカウアー「カリガリからヒットラーまで」

 標的となる幼女を早く殺したいという欲望がいびつな音色として表出したのだ。この時の彼は困惑の表情を浮かべている。後の暗黒街の顔役による私的裁判での証言、抗えない宿命への困惑と悲鳴が真実であることの証拠と言えるだろう。

この時期の映画には伴奏がない。それゆえに、音の使いかたひとつで映画の出来が左右される。そんな中、映画の無伴奏期に巨匠と呼ばれていた監督たちは総じて音の効果を重視していた。ラングもその一人である。

『M』はラングの初のトーキーでもあり、音の効果を十分考えに入れて撮影は行われた。シナリオは三つの色によって書きこまれ、黒はカメラワークとアクション、青は台詞、赤はサウンドを表しており、製作にあたって、ラングの頭のなかで、音響にも独立した地位があたえられていたことが分かる。

吉田広明『亡命者たちのハリウッド 歴史と映画観の結節点』

 このことはあまり知られてないようだが、これほど音の効果を重要視していたということを踏まえてもう一度映画を見ると、無駄のなさに気付かされるだろう。演出力の高さに敬服するばかりである。著作権が切れているため500円のDVDが販売されているが、下にリンクを貼り付けたバージョンは44ページものリーフレットが付属されており、『M』についての理解を深めることができるのでおすすめする。

 

フリッツ・ラング・コレクション M [DVD]

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