映画は人助けをしない

最新映画について書くことはあまりありません。基本的に古い映画について書いています。内容は古さを感じないものにしたいです。

新興宗教に取り憑かれた男と必至で取り戻そうとする女の純愛映画『ある朝スウプは』(2003)

※ネタバレあり

『ある朝スウプは』という映画がある。監督は『凶悪』の共同脚本を務めた高橋泉。

ぴあフィルムフェスティバルアワード2004入選作品。登場人物わずか4人の小規模なインディペンデント映画だ。


PFFアワード2004入選作品 映画『ある朝スウプは』予告編

主人公はあるカップル。パニック障害を発症して職を失った男はこころの弱さにつけ込まれ、生長の家の信者になってしまう。

8畳のワンルームに「気」が入ったソファを持ち込み、教義の素晴らしさを女に説く男。精神科に通わなくなった男を無理やり病院に連れて行こうとするなど献身的に彼を支える女。二人は確かに愛し合っているが、相手を受け入れることができない。

そんなカップルの日々を客観的なカメラが映し出す。部屋の匂いが漂ってきそうなほど、ホコリで鼻がムズムズしそうなほど空間に溶け込んでいる。その場にいるような臨場感が満ちているという点でドキュメンタリー的な映画だということができるだろう。

観客は傍観者でありながら、女に感情移入しながら映画を観るだろう。新興宗教にのめり込む恋人を救い出すなんて『愛のむきだし』みたいだ。

しかし、男には男の理由があった。奇妙なシチュエーションで、はじめて腹を割って現状について議論しあった二人は、既に元の関係には戻れないことを悟るのだ。

最後の朝、朝食を食べながら、二人は旅行の思い出話に花を咲かせる。「どうしてあの時、海に行ったんだっけ?」二人の意見は一致しなかった。相手の愛を全身で感じていたあの頃でさえ、二人は他人だったのだ。

二人の関係を引き裂くのは新興宗教だ。この映画を観ていると、新興宗教にハマってしまった人を元の状態に戻すことの困難さがよくわかる。男は成長の家と浮気し、生長の家との愛を選択したようなものだ。恋人のことを悪く言われたら、どんなに温厚な人でも怒る。悪口を言われると余計に恋人への気持ちが強まってしまう。

 監督の高橋は公式サイトで「これは新興宗教の映画でも無く、パニック障害の映画でもありません。この映画は100%の純愛映画です」*1とコメントしている。信仰への愛とパートナーへの愛に違いはあるのか?実は、対象が人かどうかの違いしかないのではないかと私は思った。

清水富美加騒動で新興宗教に注目が集まる今観るとまた感想は変わってくるのかもしれない。

 

ある朝スウプは [DVD]

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 制作費は3万円らしい。