読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画は人助けをしない

最新映画について書くことはあまりありません。基本的に古い映画について書いています。内容は古さを感じないものにしたいです。

ワンカット映画の嚆矢『ロープ』を撮ったヒッチコックの結論

洋画 映画監督 アルフレッド・ヒッチコック

1948年に公開されたアルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画『ロープ』は史上初のワンカット映画ということになっている。実際は2度カット割りがあるし(3幕構成の2幕、3幕の開幕を告げるカット割りになっている)、当時のフィルムは最長で10分ほどしか撮影できなかったために巧妙なテクニックでフィルムの交換が行われていて、厳密な意味ではワンカット映画とは言えないのだが。

f:id:eachs:20161103001906j:plain

この映画を撮ったヒッチコックの感想が名著『定本 映画術』に載っていたので紹介したい。(Hはヒッチコック、Tはフランソワ・トリュフォー

H「この映画のことを考えてみると、なぜあんな綱渡りみたいな芸当をやろうとしたのか、自分でもよくわからない。まったく、あれは綱渡りみたいな芸当と呼ぶしかなかったな。舞台のほうは物語の実際の時間と同じようにドラマが進行する。つまり、幕が上がってから下りるまでの連続した話であるわけだ。これをまったく同じ方法で映画に撮ることが技術的に可能だろうかという問いを私はあえて自分に課してみた。答は、ただひとつ、映画の演出も切れ目なく連続的でなければならないということ、つまり、午後七時三十分にはじまり、九時十五分に終わる物語を一瞬たりとも中断させずに撮影する方法を見つけなければならないということ、だった。わたしは、一本の映画をまるまるワン・カットで撮ってしまうという、じつにばかげたことを思いついた。いまふりかえって考えてみると、ますます、無意味な狂ったアイデアだったという気がしてくるね。というのも、あのようなワン・カット撮影を強行するということは、とりもなおさず、ストーリーを真に視覚的に語る秘訣はカット割りとモンタージュにこそあるというわたし自身の方法論を否定することにほかならなかったからなんだよ。[…]もちろん、そんなに簡単なことではなかった。キャメラの操作のことばかりではなく、照明の問題がたいへんだった。なにしろ、夏の午後七時三十分から九時十五分までの話だから、午後の日差しのあかるさから日がすっかり落ちて暗くなるまで背景の光が刻一刻と変化していくわけだからね」
 
T「『ロープ』はばかげた実験だったとあなたはおっしゃられますが、わたしはそうは思いません。あなたの作品歴のなかでこの実験は非情に重要な、意味のあるものだし、およそ映画をつくる人間ならばだれもが一生に一度はかならずやってみようと思う夢の企画、夢の映画ではないかと思うのです。一本の映画をまるまるワン・カットでつなげて撮ってみたいという夢想を抱かなかった監督はいないと思います。その前人未到の夢をあなたは見事に実現してみせた。それだけですばらしいの一言につきます。そのことを認めたうえで、しかしながら、やはり――これは世界のあらゆる偉大な映画監督の仕事を分析しても明らかなことですが――結局はD・W・グリフィス以来の古典的なカット割りこそ最も映画的な真髄なのだというところに立ち戻るのではないでしょうか」
H「文句なしにそのとおりだと思う。カット割りこそ映画の基本だ」

デジタル技術の登場により、ワンカット映画は簡単に実現できるものになった。例えばアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』などがある。『バードマン』は確かにワンカット映画だが、映画内の時間経過が現実の時間経過とシンクロしていないという点が『ロープ』との決定的な違いと言えるだろう。トリュフォーの言う「夢の映画」とは、時間経過のシンクロを実現している映画のことなのである。世界中の映画監督の夢を不完全ながら実現したヒッチコックが「ばかげた実験」で得た答えが「基本に立ち返ること」であったということは重要なことだと私は思う。基本は基本なのだ。


Rope (1948) Official Trailer #1 - Alfred Hitchcock Movie

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー