映画は人助けをしない

最新映画について書くことはあまりありません。基本的に古い映画について書いています。内容は古さを感じないものにしたいです。

新宿武蔵野館で中田秀夫監督作『ホワイトリリー』を観ました

2016年12月に始動した日活ロマンポルノのリブートプロジェクト。

先駆けの一作『ジムノペディに乱れる』(行定勲監督)は大傑作だったと思う。必至の現実逃避を続けるもついに避けられない現実に直面してしまった(パンドラの箱を開いた)板尾創路の恐怖に怯える表情のストップモーションは刺激的だった。世代的にロマンポルノを映画館で観るのは初めてだったので、なんとも言えない背徳感でゾワゾワしながらの鑑賞だったことを機能のことのように思い出す。

 

で、レズビアン映画『ホワイトリリー』である。


『ホワイトリリー』予告編

陶芸家志望のはるか(飛鳥凛)は、閑静な住宅街で陶芸教室を開く有名陶芸家・登紀子(山口香緖里)の住み込み弟子。師匠の身の回りの世話をするだけでなく、2人は特別な関係にあった。ところがある日、登紀子が有名陶芸家の息子である悟(町井祥真)を新弟子として迎え入れ、強引に住み込ませた挙句、関係を強要するようになった事から、3人の関係は暴走していく。

MovieWalkerからの引用 役者名は筆者による

監督・中田秀夫×脚本・三宅隆太!Jホラーの中心人物がタッグを組んだ…というのがウリ文句らしい。仮面ライダー女優・飛鳥凛を主演に起用した意欲作だったが。

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フリッツ・ラングはクソ野郎だ!「スカーレット・ストリート」

フランスの巨匠ジャン・ルノワールの傑作『牝犬』(1931)。

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 冴えない銀行員が偶然知り合った若い女性に熱を上げ、現実逃避の末に破綻する姿を描いた映画だ。

この映画の魅力は、なんだか憎めない登場人物と監督の「人間ってダメだけどそこがいいよね」と言っているかのようなタッチ。物語自体は悲惨だが、笑える場面も少なからずある。

「どんな罪を犯しても気楽に行けば生きてはいける」。ラストシーンの後味はなかなか味わい深い。私の好きな映画だ。

 

さて、ドイツにはフリッツ・ラングという男がいた。

 

オーストリア生まれのユダヤ人。『ニーベルンゲン』や『メトロポリス』などの傑作を生み出した巨匠だ。

ラングは主人公をいじめるのが大好き。誰も彼もが思い宿命を背負わされ、立ち向かうことを余儀なくされる。結末はたいてい悲惨だった。死んだ恋人を生きかえらせるために赤ん坊を死神に捧げようとしたり、冤罪で自警団にリンチされて殺されかけたり、一時の熱で結婚した男が殺人現場再現マニアだったりした。

とにかく主人公をいじめ抜いた監督だった。宿命、復讐、裁きをテーマにした暗い映画を撮る男だった。

そんなラングが『牝犬』をリメイクしたのが『スカーレット・ストリート』(1945)である。

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お蔵入り映画が意外な形で流通してしまった2つのケース

様々な形でお蔵入りしてしまった映画たちは、一生日の目を見ないというわけではないようだ。

沢辺有司の『ワケありな映画』(2012)という本は、46本の「ワケあり映画」を紹介している。『時計じかけのオレンジ』のような古典から『靖国 YASUKUNI』などの物議を醸した映画まで、幅広いラインナップが4章に振り分けられている。

中でも興味深いのは「上映禁止になったワケありな映画」という章で紹介されているマイナーな2本の邦画『スパルタの海』と『暗黒号 黒猫を追え!』である。

西河克己監督作『スパルタの海』(1983)は戸塚ヨットスクールを取り上げた同名のノンフィクションを原作としている。過剰な体罰や死亡事故が世間を騒がせていた頃に、東宝東和が話題性重視で製作したという。

伊東四朗演じる校長・戸塚宏と訓練生の高校2年生・俊平を軸に展開されるこの映画は、著者いわく、

この映画、決してスクールのプロパガンダにはなっていない。生々しい体罰、死亡事故をめぐるエピソードも正面から描き切っている。

暴力、青春、海、風、死、すべてが渾然一体となった傑作である。

本の中で紹介される物語や演出には確かに興味を惹かれた。観てみたいと思った。

しかし、映画は1983年に完成したものの、公開直前に戸塚宏とコーチ15人が警察に連行されてしまい、公開は断念されてしまった。ソフト化もされず、封印されてしまったのだ。

ところが、2005年に「戸塚ヨットスクールを支援する会」が東宝東和から著作権を買い取り、ビデオとDVDの販売を始めたというのである。お蔵入りされた傑作は皮肉な形で日の目を見ることとなった。まさかのプロパガンダ利用だ。

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 アマゾンで売ってるみたい。

 

井上梅次・岩清水昌弘監督作『暗黒号 黒猫を追え!』(1987)はスパイ映画である。北方共和国から送られたブラックキャットというコードネームのスパイを追う警視が主人公で、ニコラス・ウィンディング・レフン『ドライヴ』(2012)のリアリティに通じるものがある、といえば分かる人には分かるだろう。スパイも運び屋も実体は地味な仕事だ。著者は「エンタテインメントとして十分に興行収入を期待できたはず」と評価している。

封印された理由は、この映画がプロパガンダ映画だったということにある。スパイ防止法制定を目指す団体が支援・監修しており、その運営母体が統一教会とのつながりが深かったそうだ。制作費も統一教会から出ていたとのことで、当然のことながらスパイ防止法反対運動に押されてお蔵入りとなった。

現在はスパイ防止法制定促進国民会議がDVDを2000円で販売している。一応支援金という名目になるそうなので、ちょっと敬遠してしまうが……。まあ、それほど高くもないし、ね。

 

規模こそ違えど、『暗黒号 黒猫を追え!』に似ているな、と思ったのは伝説のカルト映画『インチョン!』(1982)だ。監督に007シリーズの1〜3作目を監督したテレンス・ヤングを招き、ローレンス・オリヴィエが主演で三船敏郎も出演する超豪華な戦争映画。製作総指揮は統一教会創立者・文鮮明である。

約46,000,000ドルもの制作費をつぎ込んだにも関わらず興行も批評も大コケし、もちろんソフト化されなかった。現在は統一教会所有のCATVなどで放映されている(ソースはwikipedia)らしい。詳しくは

を参照されたし。

 

お蔵入りされた映画が流通するのはいいことだと思うが、結局プロパガンダに利用されてしまっている『スパルタの海』はあまりにもかわいそうだ。『インチョン!』はともかく、他の2作は都内映画館でまれに上映されるそうなので、怪しい団体に直接金を払いたくない人は上映を待つべきだろう。著者の紹介がうまいのもあるが、とても魅力的な映画のようだし。特に『スパルタの海』は忘れないうちに観たい。

ワケありな映画

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『ワケありな映画』も面白い本なので、読んでみてほしい。読めば映画が観たくなる、名著だと思う。

映画における「先味・中味・後味」とは

飲食業には「先味・中味・後味」という考え方があるらしい。

雰囲気やインテリアが先味、

味や接客が中味、

食事を済ませてからの諸々が後味……らしい。

全てが優れていればそこはいい店、ということなのだそうだ。

 

 

この概念を1本の映画に当てはめると、

先味は予告編や試写会。

中味はいうまでもなく映画そのものの面白さ。

後味はレビューや批評などの感想の披露や観客同士の語り合い、二次創作が当てはまる。

 

確かに、どれかが欠けるとその映画は失敗した、ということになるだろう。

先味、つまり前評判が悪い映画は客が入らないし、悪い先入観を観客に与えてしまう。仮に面白い映画だったとしても、観客が少ない分後味が盛り上がらない。大衆の記憶にも残らないし、制作側も損をする。

中味が悪いということは映画がつまらなかったということになる。これは先味が良いほど後味が悪い意味で盛り上がってしまう。悪評が残ってしまうわけだ。制作側に大きなダメージが残ってしまう最悪の結果となる。

後味が悪いということはどういうことか。先味も中味も失敗している場合がほとんどで、興行的にも失敗したことの証明だ。また、『幻影師アイゼンハイム』のように面白くもつまらなくもない映画でも起こりうる。語りたい!と思わせられない映画はダメだ。松本人志の『しんぼる』のような悪い意味で盛り上がるのもダメだけど。

 

いい映画は「先味・中味・後味」が全て優れている。いい映画は特に後味が盛り上がる。今年で言えば『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』がこれに当てはまるだろう。『シン・ゴジラ』における蒲田くんと尾頭さんブームはその典型だろう。『君の名は。』は特に賛否が分かれているが、これによって興味をそそられる観客も少なくないはずだ。つまり、後味は先味としての機能も有するのである。公開時に形作られた後味が後に先味になる。乗り遅れた人たちは先味を参考にしてTSUTAYAや名画座に行くのだ。また、『この世界の片隅に』は出演者と作品のシンクロによる盛り上がりも見せている。

無性に語りたくなる「謎」が残される映画も後味が盛り上がるケースの一つだ。古い例を挙げれば、多くの批評家や文筆家、一般の観客を魅了した小津安二郎の『晩春』における壺のショットの謎。読解を試みた世界じゅうの人々の多様な解釈を読むことも『晩春』の楽しみ方の一つだ。最近の映画だと『ミスト』の結末に関する議論もこれに当てはまるのではないか。

 

ついさっき聞いた「先味・中味・後味」の概念でとりあえず文章を書いてみた。これについて考えるのは結構面白そうなので、いずれちゃんとしたものを書いてみようと思う。

 

 

幻影師 アイゼンハイム [DVD]

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ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」での『幻影師アイゼンハイム』の盛り上がらなさは異常だった。

映画の父と誕生日たち リュミエール兄弟編

あなたは映画が生まれた日をご存知だろうか?大学や専門学校、書籍で映画の歴史を勉強した人なら、おそらく1895年12月28日と答えるだろう。

フランスの発明家、オーギュストとルイのリュミエール兄弟は、シネマトグラフという画期的な機械を発明した。彼らは親から受け継いだ写真乾板の製造工場のためにカラー写真の乾板の発明に没頭していたが、1891年にトーマス・エジソンが発明したキネトスコープを見た父に命じられ、「動く映像」装置の開発に取り掛かった。

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リュミエール兄弟。左がオーギュスト、右がルイ)

その結果完成したシネマトグラフは撮影と映写をこなす万能機で、一度に大人数が「動く映像」を見て楽しめるというものだった。この点は一人用のキネトスコープとの大きな違いである。

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(シネマトグラフの写真)

1895年12月28日、フランス・パリのグランカフェの地下ホール「インドの間」で世界初の映画有料上映が行われた。この時に上映された作品の中で有名なものは『列車の到着』『工場の出口』『水をかけられた散水夫』だろう。それぞれが、アクション、ドキュメンタリー、コメディの始祖と考えられるもので、特に『工場の出口』はドキュメンタリーの見落とされがちな絶対的特性を示していた。

また、『列車の到着』を見た観客の驚きはもはや伝説として語り継がれている。これまでの人間は「動く映像」を見たことがなかった。絵画も写真も静的なものだったからだ。画面の奥からやってくる列車が近づいてくるにつれ、観客は恐怖を感じた。ついに列車の先頭車輌が画面の左側へ流れた時、悲鳴が上がったという。サスペンスやホラーの始祖とも言えるだろう。


Lumiere- Arrival of a train at La Ciotat station


Auguste & Louis Lumière: Sortie des Usines Lumière à Lyon (1895)


Auguste & Louis Lumière: L'Arroseur arrosé (1895)

初めて映写による有料上映が行われたこと、ジャンルの始祖と考えられる作品が上映されたこと、そのリアクションが伝説として残っていること、インドの間が実質的な世界初の映画館であることが、リュミエール兄弟こそ映画の父であり、映画の誕生日は1895年12月28日であるという主張の根拠である。

しかし、映画の父は彼らではないと主張する人たちもいる。例えば、大林宣彦は映画の父をキネトスコープのエジソンだとしているし、押井守は『トーキング・ヘッド』で、最古の映画フィルムを制作した後謎の失踪を遂げたルイ・ル・プランスを「映画の真の発明者」と賞賛している。

この他にも、ジョージ・イーストマンやエドワード・マイブリッジ、エミール・レイノーなど映画の発明に貢献した男たちや、ジョルジュ・メリエスエドウィン・S・ポーターなどの初期映画期に大活躍した映画監督を映画の父としてもいいのではないかと個人的には思う。興味を示さない映画好きも多い映画前史・初期映画史も実は味わい深いのだ。

彼らについて書かれた本は少ないので、他のエントリーの執筆に行き詰まった時にでも「映画の父と誕生日たち」の続きを書こうと思う。次回はトーマス・エジソンとウィリアム・K・L・ディクソンについて。

 

参考書籍

村山匡一郎編(2013)『映画史を学ぶクリティカルワーズ』フィルムアート社

行方不明映画の系譜〜『バルカン超特急』から『チェンジリング』まで

ヒッチコックの代表作のひとつ『バルカン超特急』(1938)は革新的な設定の映画だった。 


The Lady Vanishes - Trailer

走行中の列車内で行方不明事件が発生し、乗客の誰もが行方不明になった老婆のことを知らないと言う。主人公だけがその存在を知っている。古典的なサスペンスだが、その後に与えた影響は大きい。

H「これと同じ話が三度も四度も映画になっているんだよ。」

T「『バルカン超特急』が何度か再映画化されているという意味ですか。」

H「いや、再映画化されているということじゃない。人間が突然消えてしまうというドラマの発端が、かたちはちがうけれども、何本かの映画のもとになっているということだよ。」

フランソワ・トリュフォーヒッチコック 映画術』

ここでとり上げる最初の「超特急の落とし子」はオットー・プレミンジャーの『バニー・レークは行方不明』(1965)だ。


Bunny Lake Is Missing

画面に現れない行方不明者

設定だけではなく、ヒッチコックの良きパートナーだったソール・バスの素晴らしいタイトルデザインも魅力的なこの映画は、『バルカン超特急』の発展形であり、この手のサスペンスの到達点と言っていいだろう。なぜなら、行方不明になる人物が画面に登場しないからである。

このことによって、観客はその人物の存在を疑わざるをえない。主人公アンと弟スティーブンの姉弟への感情移入がここで阻止され、むしろ疑念を抱かせることができる。さらにスティーブンの言動が観客をより混乱させるものであるため、観客はアンをまったく信用できない。

ここが『バルカン超特急』との大きな違いである。『バルカン超特急』は完全に主人公に感情移入させるように作られているが、『バニー・レーク』は主人公に感情移入することを拒む。アンが完全なる孤独に追いやられてしまうが、だからこそ結末が感動的なのだ。

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行方不明になった登場人物が最初から不可視化されているという設定は他の行方不明映画にはない独自のものであり、最大の魅力である。121年の映画史の中で行方不明映画は多数作られたが、この設定に影響を受けた作品は、少なくともポピュラーではない。『バニー・レーク』自体も町山智浩の『トラウマ映画館』で名が知られるようになった隠れた傑作だった。

『バニー・レーク』についてもっと知りたい方は、『トラウマ映画館』を読むといい。例えば、こんなことが書いてある。

これらの映画で、主人公たちは周囲から異常者扱いされ、そのためにかえって取り乱し、孤立し、自分でも自分が狂っているのかもしれないと思うほどに追い詰められていく。このカフカ的不条理ゆえに「消えた旅行者」の物語は人々を魅了してきた。

しかし、問題は結末だ。このプロットの魅力と釣り合うだけの謎解きは滅多にない。

[…]『バルカン超特急』や『恐怖のレストラン』は後半大アクションになる。カフカ的な恐怖は結局陳腐な絵空ごととして終わってしまう。

『バニー・レークは行方不明』はそれを見事に回避し、最後まで観客を失望させない。オットー・プレミンジャー監督の才能によって。

プレミンジャーは「消えた旅行者」の話が人々を恐怖させ続ける理由がわかっている。それは実存的不安だ。人は周囲の記憶と書類なしには証明できない不確かな存在なのだ。その意味でこのジャンルの最高傑作は『恐怖のレストラン』の原作者でもあるリチャード・マシスンの短編小説『蒸発』だろう。まず主人公の知りあいが一人ずつ消え、次に彼に関する記録が少しずつきえていく。ついに自分の体以外何もかも失った彼は、コーヒーショップで手記を書きながら消滅する。こんな風に。

わたしはいま、飲みかけの一杯のコーヒ

2000年代の行方不明者は明暗が分かれた

2000年代に2本の行方不明映画が公開された。ロベルト・シュヴェンケの『フライトプラン』(2005)とクリント・イーストウッドの『チェンジリング』(2008)である。

フライトプラン』は飛行機内から消えた息子を探すために奮闘する母親の姿を描いた作品で、『バルカン超特急』の直系の子孫と言えるだろう。


フライトプラン (吹き替え) - 予告編

2本の映画は似ているが、『フライトプラン』の設定の甘さはよく指摘されている。また、上記の町山の指摘の通り、終盤の大味な展開は面白くない。ジョディ・フォスター演じる母親が過剰なパニックに陥り悪意をばらまき続けるという設定も観客をいらだたせる。これこそが最大の失敗だ。主人公に感情移入させないでどうする。

チェンジリング』はかわいそうな映画だった。決して出来は悪くないのに、同年公開のイーストウッド会心の一作『グラン・トリノ』があまりにも話題になったため、日陰に追いやられてしまったのだ。


チェンジリング - 予告編 (日本語吹替版)

この映画の特徴は、ゴードン・ノースコット事件という実話を元にしているということだ。権力の腐敗により悪夢が実現したと理解した観客は主人公に感情移入し、悪が叩かれることを期待する。『バルカン超特急』と同じ構造である。これが見事に果たされるからこそ高い評価を得ているのだ。『フライトプラン』との違いは主人公に感情移入できるか否かである。

ただし、この映画はロス市警=権力の腐敗を描くという点に比重が置かれていることは間違いないので、純粋な『バルカン超特急』型サスペンスとは言えないだろう。

もはや単純な「消えた旅行者」プロットは通用しなくなっている。どこかで工夫することが求められる。イーストウッドはそこに権力との対立を持ち込むことでプロットに新鮮さを生み出したのだ。

 『バニーレーク』を超える映画は現れるのか

誰かが行方不明になるというサスペンスの定番は今後も描かれ続けるだろう。しかし、『バニー・レーク』を超えられるかどうか?

コメディ映画は未だにチャップリンとキートンを超えられない。ミュージカル映画は『雨に唄えば』を超えられない。行方不明映画もまた、『バニー・レーク』を超えられないのではないか。

画面に現れないまま行方不明になる子供、観客を巧みに混乱させる弟、観客から感情移入されない頼りない主人公。これらの設定を揃えることは誰にでもできる。しかし、歯車を噛み合わせることは容易ではないようだ。

トラウマ映画館 (集英社文庫)

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アメリカ映画で初めてLGBTを描いたのはチャップリンである

「アメリカ映画」で初めてLGBTが描かれたのは、『チャップリンの舞台裏』(1916)だと言われている。


Charlie Chaplin - Behind the Screen

男装したエドナ・パーヴァイアンスとその正体に気づいたチャーリーがキスをしている場面を目撃した大男が2人をゲイだと勘違いし、揶揄するというシーン(17:27〜)がそれである。

チャップリンは寄席芸人時代に差別ネタを得意としており、これが初期チャーリーの嫌らしい性格に反映されているのだが、このシーンは肯定的とも否定的とも取れないような演出がなされているように思える。単純に恋愛をからかわれたことへの怒り、ゲイだと勘違いされたことへの怒り。どちらも無理なく受け入れることができる。当時のチャーリーは女性にいやらしく弱者をいじめる男だったので、否定的な描写だとすべきだろうか。後に世界中から愛される男が寄席芸人のアイデンティティを作品に大いに反映させていた頃の表現である。

チャーリーが聖人的な性格になったのは、ファーストナショナル社での第一作『犬の生活』(1918)以降と考えられている。ここをキャリアの転換期として捉えるのが主流の考え方のようだ。「チャーリー」というキャラクターがどのような経緯で『犬の生活』に至ったのかについてはいずれ書く。本当に嫌な奴だったのだ、特にキーストン社時代のチャーリーは。

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(写真 嫌らしく見える笑顔)

ちなみに、「映画」で初めてLGBTが描かれたのは、リュミエール兄弟のシネマトグラフに先行してキネトスコープを発明したエジソン社のウィリアム・K・L・ディクソンによる実験映画『The Dickson Experimental Sound Film』(1894)である。2人の男がダンスを踊るだけの単純な描写だが、後に男同士のダンスがゲイ差別を元にしたギャグとして映画に登場するようになることを考えれば、初のLGBT映画と断言していいだろう。

『The Dickson Experimental Sound Film』は世界初のサウンド付き映画でもある。以下の動画の音楽は後付ではない。


Dickson Experimental Sound Film (Edison - Dickson - Heise - 1894)

バイオリンを弾いているのはディクソン本人。なぜ男同士がダンスを踊っているのかは不明だが、当時は特に珍しい行為ではなかったそうだ。ゲイが同性愛を意味する言葉ではなかった時代のLGBT表現である。

 

Edison: Invention of the Movies [DVD] [Import]

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 エジソン社で制作された映画約140本をまとめたDVD。とても興味深いのだが、いかんせん値が高い。ちなみに、エジソン本人は一度も映画を作らなかった。